両国通信第10号 – 両国「吉良邸跡」-

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師走、両国といえば、そう、『忠臣蔵』の討ち入りです。この両国の地に広大な敷地の吉良邸がありました。現在、その「吉良邸跡」が、弊社がいつもお世話になっている墨田両国三郵便局の、すぐ近くにあります。この両国通信の第8号で紹介した回向院の裏手にあたります。

時は元禄14(1701)年3月14日(4月21日)、朝廷の使者が江戸城に正月の返礼に来ている祝いの接待の場において、吉良上野介の意地悪にぷっつんキレた浅野内匠頭が、松之大廊下で吉良上野介に短刀で斬りかかって傷を負わせてしまいました。怒った将軍:徳川綱吉は、即刻、浅野内匠頭に切腹を命じ、そして赤穂の浅野家はお家断絶となったのであります。

筆頭家老の大石内蔵助は、当初、浅野内匠頭の弟である浅野大学による、お家再興に動くのですが、それが叶わぬこととなると、吉良上野介を討つことを決意します。
そうして、元禄15(1703)年12月14日(1月30日)未明、47人の赤穂浪士が両国の吉良邸に押し入って吉良上野介を討ち取り、主君の仇を取ったのでした。

当時、吉良邸は 2,550坪もある広大な敷地でしたが、現在「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に 30坪弱の土地が「吉良邸跡」(本所松坂町公園)として公開されています。小さな場所ですが、無料で入れます。時々、歴女がカメラをさげて訪れていますよ。毎年、12月14には『義士祭』が開催されます。

両国に来られる際は、是非、訪問してみてください。

by H.M